一陣の風が吹き過ぎてゆく。
舞い上がる様々な木の葉に雑じるは、一筋の紫煙。

 

 

 

か意 -Will-

ノー・スモーキン・フォー・ユー。

 

 

 

「ったく・・・あそこの問題、俺ぜってー合ってたのに」

陽も傾きかけた放課後。
校舎の壁に寄り掛かって、足をだらんと前に放り出し、
口からぷかぷかと煙の輪を吐き出す。

彼は未成年で、高校生。
喫煙が赦される年齢では無い。

・・・気が付いたら、手元に在った箱。
偉そうな兄に奔放な長女、口煩い次女に生意気な弟。
イラついて、全てを忘れようと、ついつい、それを手に取ってしまった。
一度火を点けたら、意外と普通に吸えるものだ。

「あの先公、俺のこと目の仇にしてやがったからな・・・
 きっと答えを書き換えやがったんだろ・・・チクショウ、ムカつくッ!」

誰に言うでもなく、少年は煙と共に鬱積を吐き出した。
いつもの冷静沈着な彼なら、こんなに容易く怒ったりはしない。
けれども、この少年、近頃はずっと苛々しっぱなしなのだ。

(これが、反抗期ってヤツなのかな)

頭の隅の冷静な部分が、ふと呟いた。
それにしちゃ遅すぎる反抗期だな、と自嘲気味に鼻で笑うと、
フィルタ近くまで燃え尽きた煙草を足下に放り投げ、爪先で揉み消す。
そしてまた、学ランの内ポケットに手を突っ込んで。
もそもそと身体をよじりながら、箱を取り出し。
箱の底をトントン、と中指で叩き、一本弾き出す。
そのまま口に銜え、今度はズボンのポケットを弄って、ライターを探す。
手が滑り、ガスが少なくなった在り来たりな100円ライターが、
ポロリと地に転がって、思わず舌打ちをする。

「今度、ZIPPOでも買うかな・・・」

砂が附いてしまったライターを乱暴に掴み、火を点ける。



「翼ッ!!!」



自分の名前が大声で呼ばれたことに、少年は肩を跳ね上がらせた。
声のした方に目を遣ると、其処には。

―――太陽に照らされた黒髪と、強い光に満ちた漆黒の瞳。





肩で息をする少女は、その大きな眼を潤ませながら、
少年―翼の方へつかつかと歩み寄る。

「麗、姉・・・なん、で、」
「最近、翼の制服、なんか変な匂いがするな、って思ってた。
 それに、クラスメイトが言ってたの。
 『小津さんの弟、タバコ吸ってるんじゃない?』って。
 ウチの学校、トイレにはスプリンクラーが付いてるから、
 タバコなんて吸ったらとんでもないことになっちゃうし、
 屋上は、鉄柵が壊れてて危ないから封鎖されてるし、
 タバコ吸うなら校舎の裏かな、って思ったんだ。
 で、来てみたら、案の定・・・翼が居たってワケ」

何故ここに居るのが分かったのか。
何故煙草を吸っていることに気が付いたのか。
湧き上がる動揺と共に、様々な疑問が頭に浮かぶ。
だが、それを口にする前に、黒髪の姉は凄まじい剣幕でまくし立てた。
姉―麗のあまりの勢いに、翼の口から、煙草がポロリと毀れてしまう。

「なんで、タバコなんか・・・っ?」

口唇を噛み、少し俯いて拳を握り締め、絞り出すように麗は訊ねた。
翼は肩を竦めると、火を点けないまま落ちてしまった煙草を見遣り、
呆れるように、軽く一つ、息を吐いた。

「ってゆーか、このトシなら、吸ってても不思議じゃなくね?」
「翼はッ、まだ未成年なんだよッ!?」

諌めるように軽く答えを返したつもりだったが、麗には逆効果。
先刻、彼に呼びかけた時よりも、数倍大きな声を張り上げる。

「ばっ、バカ、声がでけェよ麗姉ッ、先公にバレちまうッ」

思わず声を鋭くして、無骨な掌を麗の口にあてがった。

「・・・っん!」
「麗姉も、弟がタバコ吸ってるなんて先公達にバレたら、
 クラスに・・・いや、ガッコに居づらくなンだろ!?
 だから、黙っててくれよ、・・・頼むから」

そっと手を離し、ぽそぽそと声を潜める。
眉を寄せたまま、何か言いたげな麗の口に、素早く人差し指を当てて。

「で、なんでわざわざガッコで絡んでくんだよ。
 言いたいことあンなら、ウチで言えばいいじゃねーか」
「っ、何よ、その言い方! それが、お姉ちゃんに対しての物言い!?」
「うっせーんだよッッ!!!」

“黙れ”と自分で言ったばかりなのに。
普段のイラつきも相まって、翼は遂に怒鳴ってしまった。
びくん、と縮こまる姉の身体。

「ガッコで絡む分、タバコがバレるリスクが高くなることくらい判れ!
 『翼、タバコ吸ってるの?』なんてこと、家でも聞けるじゃねェか!
 それに、一つ年上ってだけなのに、姉ちゃんだからって煩ェんだよ!
 いちいち目くじら立てて説教タレんじゃねェ!」

益々潤んでいく麗の瞳を、真っ直ぐに見据えながら。
胸の奥で澱んでいた感情を、壊れたダムの如く吐き出す。
一度溢れてしまえば、止まることの知らない罵声。

「ムカついてたんだよ・・・
 文句ばっかりタレる兄貴や、自分のことばっか主張する芳姉!
 クソ生意気なバカ魁、そんで・・・口を開けば説教ばっかの麗姉に!」

頭を殴り飛ばすように、溜まった言葉を叩きつける。
小さな姉は、ただ俯き、身体を震わせているだけ。

「俺がどんだけフラストレーション溜めてたか解るか!?
 いつ爆発してもおかしくなかった・・・ずっと理性で抑えてたんだ。
 でもなぁ! 今日ばっかりは言わせてもらうぜ、麗姉は、」

そこまで言って、翼はハッと我に返った。
・・・眼が醒めたようだった。



―――麗の瞳から、大きな雫が一筋、流れた。



「・・・ッな、なんだよ、何泣いてんだバカ!
 俺が泣かしたみてェじゃんか!!!」

プライドの残りカスか、はたまた、奥底に眠っていた意地か。
実際、自分でも解っていたのだが、それを認めたくなかった。
自分がまくし立てたせいで、姉を怖がらせ、泣かせてしまったなど。

「・・・っご、ごめん・・・ッ、ごめんね、つば、さ・・・」

震える声と、幾筋も毀れ落ちる涙。
紫紺のスカートの端を握り締めて、双肩を咽ばせる。

ぽたぽた。ぽたぽた。

地に滲み込む、幾つもの小さな染みを見ていると。
翼は、心の臓を鷲掴みにされたような感覚に堕ちた。

(俺は、何をしてるんだ)

違う、俺は。
麗姉を哀しませたかったんじゃない。
でも麗姉が悪いんだ、俺のことに干渉し過ぎなんだ。
口煩く言わなかったら、俺はこんなに声を荒げたりはしない。
いや、そればかりが理由じゃない気がする。
俺も悪い、違う、そうじゃない・・・!

保身と自責の感情が、翼の中に渦巻いた。
頭も胸も、掻き乱されて、どうしようもなくて。
自己嫌悪に陥りそうになるが、その前に、言わなくてはいけないこと。

「・・・悪かった。言い過ぎたよ」

呟くように言いながら、親指と掌で、麗の頬を拭ってやった。
睫毛にしがみついて、微かに揺れて光る雫。

「ごめん。ほんっと、ごめん」

やはり、保身の心が邪魔をして、麗を見ずに顔を逸らして言う謝罪。
相手の眼も見れない自分の勇気の無さに、歯を食い縛る。
漸く、腫れた眼を上げて、麗は口唇を歪ませた。





「翼・・・言いたいことがあるなら、はっきり言ったらいいんだよ。
 私が受け止める。もう、咎めるようなことは言わない」

(違う、そうじゃないんだ、麗姉)

自分が責めたせいで、今度は麗の心が塞がっていく。
そんなことを望んじゃいない。

「でも、タバコは止めようね・・・?」
「・・・ハッ、それは、クラスメイトとか先公に、
 白い眼で見られたくないから言うんだろ?」

想いとは裏腹に、真逆の言葉を紡ぐ口唇。
皮肉というナイフで、麗の思い遣りを抉り取っていく。

「違うよ・・・ッ、私は、翼のことを思って、」
「そりゃあ偽善か? 建前だろ?
 副流煙吸って肺ガンになるのがイヤとか、
 匂いが付いたらイヤだとか、そういうこと言いたいんじゃねェの?」
「翼は、自分の身体が大事じゃないの!?」

散った筈の涙が、また溢れてくる。

(何故そんなことを言うの?)

前髪に隠れた瞳が、翼に問うた。

「・・・別に」
「なん、で・・・・? もっと自分を大事にしてよ・・・
 私、翼に何かあったら、おかしくなりそうだよ・・・」

麗は、明後日の方を見ている翼の腰にそっと腕を廻し。
しっかりとした胸板に、額を寄せる。

「お願い、お願いだから・・・翼・・・ぁっ」



どうして、この人は。
他人の為に、こんなに泣けるのだろう。
常に強さを秘めるその身体が、時折、何よりも小さく見えるのは何故?
硝子細工みたいに、触れれば壊れてしまいそうな儚さを、
その心に閉じ込めているのは・・・頼りの無い家族達のせい?
もっと甘えても良かった年頃から、姉はずっとこうだった?
母の傍に付き添い、誰よりも俺達を気に掛けてくれてたのは誰?



唐突に、姉の生き方を振り返る。

(バカは俺だ。なんで、今まで気付かなかったんだ。
 自分勝手で、我侭で、生意気で、文句ばっか言ってたのは・・・俺だ)

常闇に閉ざされた翼の心に、閃光が奔る。

(“俺のフラストレーションを解れ”だ? 何言ってんだ。
 俺はただ、タバコを吹かして、カッコつけて現実逃避してただけだ)

目の前が開け、曇りが晴れる。
「見てろよ、麗姉」と言いながら姉の顔を上げさせ、
学ランから煙草の箱を取り出すと、大きく振りかぶって、
それを思い切り遠くへと投げ飛ばした。

「止めるわ」
「・・・え?」
「・・・タバコ。・・・ったく、くだらねェ。俺、何やってたんだろな」

麗の頭より、遥か上の方。
いつの間にか自分の背を追い越し、大きくなった弟は、
爽やかな表情で空を仰ぎ、ふっ、と微笑んだ。
それから、視線をすいっと麗の方へ移して。

「俺な、ボクシングやる」
「・・・な、何、突然」

急すぎる翼の決意に、麗は眼を丸くする。
柔らかく笑んだまま、翼は麗を抱き寄せると。
絹のような黒髪を撫ぜて、彼女の耳に口唇を近づける。

「タバコなんかより身体にいい。ストレス発散も出来る。
 それに、何よりも・・・」

誰よりも、強く。
貴女の為に。





全てのものから、護る。
俺の皮肉や態度、キミを傷つけようとするものから。
もう、キミを泣かせたりはしない。
これは、張られた意地なんかじゃなく。

今、こうやって、拳を固めて前を見据えることが、俺の意志。





+++FIN+++

 

 

 

 

 

<AFTER WORD -後書->

きっと、翼がボクシング始めたのはこういう理由だ。
激しく捏造しました、ニャハ!(芳香風
結構ね、どこのサイトさん見てても、
「麗と翼は同じ高校だったに違いない!」って意見が多かったもんで。
こんなんできますたー!(空元気
また無闇に長くて意味が不明!
ごめんなさい、おでばかだかだー!(訳:俺バカだから)

素直になれない弟。
基本的に下の子って、どっか皮肉屋で、
意地っ張りで頑固だったりするんですよね。
私も2人兄弟の下の子だから分かるんですけど。
それ考えたら、翼は素直な方かな、なんて思います。

タバコ、タバコね・・・私大嫌いなんですよ。
この話書く上で、母のマイセン拝借したんですけど、ゲハッ(むせた
こったらもん吸えるか!かー、ぺっ!(唾吐き
世の方達が、なんでこんなもん吸うのか分からんです。
そんな個人的な意見はさておき。

ていうか、翼ちん、いまどき「先公」とか言わない。
翼の喋り方は、なんとなく私風味を混ぜてしまいました。
ごめんなさい、申し訳ない翼ファンの皆様!(号泣

(2005/08/13)